藤原元真 新古今一八八

28.夏草は茂りにけりな玉鉾の道ゆき人もむすはかりに

(なつくさは しげりにけりな たまぼこの みちゆきひとも むすぶばかりに)

(私訳)夏草がすっかり茂ってしまった。道行く人も道に迷わないように通ったところの草を結びながら過ぎていくほどに。

元斎解説

道のしるべがない時は草を結び、枝を折って通った道を知らせるのである。路が見えないくらいに夏草が茂っていることを詠ったものだ。「はかり」は濁音である。

 

訳者注記

「玉鉾の」は道にかかる枕詞。「むすはかりに」は「むすぶばかりに」と「ぶ」を補った。

元斎解説の最後、原文は「はかりは本也」とあり文意不明ながら、程度を意味する「ばかり」とした。

 

猿丸太夫 古今一四六

29.郭公鳴声きけは別にし古郷さへそ恋しかりける

(ほととぎす なくこえきけば わかれにし ふるさとさえぞ こいしかりける)

(私訳)ほととぎすのなく声を聞けば、別れた恋ししい人と一緒に住んでいた故郷のことが思い焦がれる。

元斎解説

旅に出れば慰められるものであるのに、いよいよもって故郷を恋しく思うのは、ほととぎすの「不如帰」(帰りたい)と、なく声を聞くからである。過行く方の恋しさを見事に詠った歌の類である。

訳者注記

ほととぎすの漢字表記をまとめてみると、杜鵑、霍公鳥、郭公、時鳥、子規、杜宇、不如帰などなどあるようである。

望郷の念を誘う歌であろう。故郷には必ず思いを持った人がいるはずである。

 

権中納言定家 拾遺愚草一二二四

30.月やとる御裳すそ川の子規秋の幾夜もあわすそあらまし

(つきやどる おもすそがわの ほととぎす あきのいくよも あわずぞあらまし)

(私訳)ほととぎすが鳴き添う、月やどる御裳すそ川の景色の美しさは、秋の幾夜を合わせてもこの一夜に及ばない。

元斎解説

月の照る御裳すそ川の景色は、言葉で言い表せない究極の美しさであるが、その上にほととぎすの鳴き添う声が聞こえるという。秋の夜の千夜をこの一夜に重ねてみたとしても足りない。

 

訳者注記

 元斎は究極の美、恍惚たる美の表現であると言っているようだ。

元斎の原文「秋の夜の千夜を一夜に重て聞共」は、ゲーテの有名な言葉、「時よ止まれ。お前は美しい」を思い出させ、比べたくなる。

光の研究もしていたゲーテから見れば、美は一瞬一瞬の光によってその姿を変える。究極の美は一瞬で過ぎ去っていくということであろう。その一瞬の美を惜しんだのが、「時よ止まれ。お前は美しい」という叫びであろう。

元斎の秋の千夜を積み上げてもこの一夜に及ばないとは見事な言いようだが、ここでの美の推移はより緩やかなように思われる。だから止まれとは言っていないのである。作者はその時々の美を十分に堪能したであろう。

この稿続く。

令和5年18