紀友則 古今一五四

33.夜やくらき道やまとへる時鳥我宿をしも過かてに鳴

(よやくらき みちやまどえる ほととぎす わがやどをしも すぎがてになく)

(私訳)夜が暗かったからか、それとも道に迷ったせいか、ほとぎすがよりによって我が宿を過ぎ去りがたいというように鳴いている。

元斎解説

夜の暗さが厳しかったか、道に迷ったか、ほととぎすがどこへも行かずここで鳴くという事。我が住まいはみすぼらしいので、訪れる人もいないくらいなので、まして、郭公も私を目指して飛んで来たのではないと読める。我が宿という言葉、摂政家以外は取り立てて詠まぬものである。しかしながら、この哥では卑下の宿なので詠んでいるのである。

訳者注記

ほととぎすの表記が「時鳥」、「郭公」となっているが、和哥では前者、元斎は解説で後者を使っている。

 

権中納言定家 拾遺愚草二二一九

34.明ぬ也ゆふつけ鳥のしたりおのをのれにも似ぬ夜半のみしかさ

(あきぬなり ゆうずけとりの しだりおの おのれにもにぬ よわのみじかさ)

(私訳)夜が明けてしまった。鶏の長く垂れた尾の、その長さにも似ず、夜のなんと短い事か。

元斎解説

庭の鳥、つまり鶏の垂れたしだれ尾のような長い夜を少しも疑っていなかったのに、夕付鳥が鳴いて夜が明けるのであれば、しだりおのごとく長い夜であろうと、どうしてこんなに短いのか、という意味である。長尾を鳴尾という。

訳者注記

ゆふつけ鳥、は木綿付け鳥とも書く。世のなかの騒乱の際に、にわとりに「木綿(ゆふ)」を付けて都の四つの関所で鳴かせて祓(はらえ)をしたところからにわとりを言う。後世、「夕告げ鳥」とも呼ばれた。(旺文社全訳古語辞典)

元斎は解説で、夕付鳥と書いている。

 

読人しらす 

35.難波潟にほのうき巣もみたれ芦の末葉にかかる五月雨の比

(なにわがた におのうきすも みだれあしの すえばにかかる さみだれのひ)

(私訳)五月雨で水かさを増した難波潟の、におの浮巣も流れ流され、乱れ芦の末葉のあたりにもたれかかっている、五月雨の降る中。

元斎解説

におの浮巣は頼りない物で浪に漂うようにあちらこちらと流されるのである。五月雨で水かさが増しているので、芦の末葉のあたりにもたれるようにしていると読める。上手の作である。

訳者注記

にお(入偏に鳥)の浮巣、頼りない物のたとえという。

 

権中納言定家 拾遺愚草一二九二

36.手作りやさらす垣ねの朝露をつらぬきとめぬ玉川の里

(てづくりや さらすかきねの あさつゆを つらぬきとめぬ たまがわのさと)

(私訳)布をさらす玉川の垣根の上の朝露が、貫き留めぬ宝石の玉がこぼれて落ちるように、風に吹かれ舞っている。

元斎解説

玉河にさらす手つくりさらさらに昔の人の恋しきやなそ

(私訳)玉河の水にさらす布がさらさらと流れ、ふと昔の人が恋しくなる、なぜ。

白露に風の吹(ふき)しく秋野のはつらぬきとめぬ玉かとそ見る、

(私訳)風が吹きつける秋野の白露は、風ではらはらとこぼれ飛び散り、まるで糸で貫き置かない宝石の玉のように見える。

この両首を本歌としている。「調布」(「手作り」)は布である。このように糸を自由に使うのに、朝露の玉をなぜしっかりと糸で貫き留めて置かないのかと読める。この玉河は山城の国である

訳者注記

手作りは調布のこと、すなわち布である。朝露は宝石の玉のように、朝日を浴びて輝き風に吹かれてあたりに飛び散るのである。

「玉河に」の哥、上の句と下の句の意味が離れていてつながらない。俳諧歌とみた。

「白露に」の哥、「秋野のは」は「秋野の白露は」の意であろう。「は」は準体助詞とみる。

 山城は、京都伏見区、水郷の町淀町である。

この稿続く。

令和5年114