俊成 新続古今 三一七

37.尋みんまほろしもかな時鳥行衛もしらぬ水無月の比

(たずねみん まぼろしもがな ほととぎす ゆくえもしらぬ みなづきのひ)

(私訳)尋ねていこう。方術をおこなって私を蓬莱に連れて行ってくれる方士の方がいれば良いのになあ。ほととぎすの行方も知れない水無月の頃だが。

元斎解説 

 尋行まほろしもかなつてにても

玉のありかをそことしるべく  (源氏物語桐壷)

(亡き桐壷更衣の魂を)探したずね行く幻術師がいればいいなあ。(せめて)人づてでも(更衣)の魂のあり場所を、どこだと知ることができるように。(旺文社古語辞典)

 

本哥も玄宗皇帝が楊貴妃の魂のありかを方士に仰せ事して尋ねさせたことを詠んだ。郭公は亡き蜀王の魂であると言えばこの時鳥の行方も、もし方士がいるなら尋ねていきたいという事である。

訳者注記

 ほととぎす、初夏に渡来し秋に南方へ去る。巣をつくらず、うぐいすなどの巣に卵を生みひなを育てさせる夏を知らせる鳥として親しまれる。「死出の田(た)長(をさ)」という異称から冥土から来る鳥ともされた。卯月鳥。

 まほろしは、幻術、魔法を行う人、方士。すなわち、ここでは元斎の原文より方士とした。

 蓬莱は、中国の伝説で東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山。方士とは、蓬莱に行く人のことを言う。(以上、旺文社古語辞典より)

 

俊恵法師 新古今二七四

38.楸生ふる片山かけに忍ひつつ吹ける物を秋の初風

(ひさぎおうる かたやまかげに しのびつつ ふきけるものを あきのはつかぜ)

(私訳)楸(ひさぎ)生(は)えるひんやりとした、片方が小高くなった山かげに、早くも秋の初風が忍びつつ吹き抜けるのを見た。

元斎解説

この山裾の涼しいのは秋風がここに忍ぶようにかすかに吹いているからだと読める。秋が忍んでいたという事で夏の哥という事になる。哥の姿も作意もまことに稀有である。

訳者注記

楸(ひさぎ)、ウイキペデアの記述による。落葉広葉樹の高木で、高さ5~10メートル。中国原産といわれ、日本には古くに渡来し、一部は日本各地の河川敷などの湿った場所に野生化している帰化植物であるとのこと。

(参考)ぬばたまの夜の更けぬれば楸生ふる清き河原に千鳥しば鳴く  山部赤人(万葉集)

「片山かけ」は、片方が小高くなっている山かげのこと

 

権中納言定家 拾遺愚草 四三二

39.此世にも此世の物と見えぬ哉蓮の露にやとる月影

(このよにも このよのものと みえぬかな はすのつゆに やどるつきかげ)

(私訳)この世にありながら、この世のものと見えない月影宿る蓮の葉の露。

元斎解説

法華経に染まらず、人の世の中に咲く蓮の花には水有。これがこの哥の心であろう。蓮の葉の露に満月が宿るとは、いかにも品がいい。ところで、家にあるものがこの世のものに見えないとは、驚嘆すべきことであろう。

訳者解説

法華経のお話ではないのだが、作者の家の庭の水辺に咲く蓮の花に浮く露に、満月の月影が美しく宿っていた。我が家の庭でありながらその景色は、まるでこの世のものに見えぬ恍惚たるものであった、という事であろう。

作者の目に映った、一瞬のこの世のものでない美を、たしかに捉えた哥だ。元斎が「法華に不染」と、冒頭書いているが、それは宗教を離れたところに成立した、美であることをまず言っているのであろう。 

この稿続く。

令和5212