同 権中納言定家
40.御祓すとしばし人なす麻の葉も思へはおなしかり初のよを
(おはらいす としばしひとなす あさのはも おもえばおなじ はつのよを)
(私訳)お祓いすると言って、仮に作った人形となる麻の葉も、考えてみればこの世では、人間と同じはかない存在である。
元斎解説
沢辺なる浅茅をかりに人なして思ふ事をもなつるけふ哉
(さわべなる あさかやをかりに ひとなして おもうことをも なづるきょうかな)
(私訳)沢辺に生える若い茅を刈り、仮のひと形の人形を作り、願い事を言いながら、わが身を流すようになでる今日である。
この哥を本歌として詠んだのである。
「人なす」とは人形を作ったという事である。六月の晦日(末日)にお祓いをすると言って麻か茅かで人形を作ってわが身を撫で流したのである。人形もわれら人間もこの世では、はかないことで同じと観じているのである。
訳者注記
本歌として挙げられた哥の作者が誰なのかわからない。
秋
読み人しらず
41.我せこか衣のすそを吹返しうらめつらしき秋の初風
(わがせこが ころものすそを ふきかえし うらめずらしき あきのはつかぜ)
(私訳)我がせこの衣の裾を、秋の初風が一瞬、吹き返した。翻って見えた裾の裏が、初めて見る新鮮さでその美しさが目にしみたのである。
元斎解説
関雄(せこ)がいつもは会えない人に逢って詠んだものだ。最初の五文字「わきもこ」(我妹子)となっている本もある。「うら」は「あら」である。五音は相通じるのである。衣の縁を「うら」と言っている。歌の心は、よその人の衣を吹き返すより、わが思う人の方が猶心に沁みるものであろう。それと同じように秋の初風がひとしおかんがえ深いのである。
訳者注記
元斎解説の「関雄」は「せこ」であろうか。この哥の実態は、「もこ」(女)が久しく会っていない「せこ」(男)に逢って偶然吹いてきた秋の初風で「せこ」の衣の美しい裾が翻るのを見た、という事であろう。
五文字が「我せこ」と「わぎもこ」では哥の印象が変わってくると思うが、元斎と同じく私は前者が本当のように思える。
「うら」は、心の中のように見えない部分の意、ここでは「裏地」。元斎は、「うら」=「あら」と言っているが、その心は、「新しく新鮮」の意と解した。だから、ここでは掛詞にして「裾の裏が、初めて見る新鮮さで」と訳してみた。
これはちょっと控えめだが、もっと想像をたくましくすると、表地よりも裏地の方が派出で美しかったとしよう。初風のいたずらによって、一瞬垣間見えた背子の衣の裾の裏地の美しさに心を奪われたというところが本当かもしれない。
権中納言定家
42.見わたせは花も紅葉もなかりけり浦の苫やの秋の夕くれ
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ)
(私訳)見渡しても、花も紅葉もなかった。そういう美しさではなかった。秋の夕暮れに染まった浦の苫やには、心に沁みいる美しさだけがあった。
元斎解説
花も紅葉もなかったという事ではない。浦の苫やの秋の夕暮れの眺望は、花のようでもない、紅葉でもないと読めるであろう。吟味が必要である。
訳者注記
あまりにも有名な三夕の歌の一つである。孫引きだが、参考までに、安藤次男「藤原定家」から三夕の歌残り二つを引用しておく。
さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋のゆふぐれ(寂蓮)
こころなき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋のゆふぐれ(西行)
ところで、「浦の苫や」の意味であるが、旺文社全訳古語辞典によれば、「海辺にある苫(とま)(菅(すげ)や茅(かや)を編んだもの)で屋根を葺(ふ)いた粗末な家」とある。
定家が見た浦の苫やの夕暮れの景色は、猛烈な速さで一瞬一瞬その美しさを変えたであろう。ゲーテであれば、「時よ止まれ、お前はあまりにも美しい」と叫んだかもしれない。逆に言えば、一瞬でその美は消えてしまったと言える。定家はその一瞬をたしかに捉えたという事であろう。
この稿続く。
令和5年2月18日