27.さくら花わかなとひとつ手にふれて 匂いもまさる人のおいらく

 (釈)櫻と若菜を一緒に手に触れてみると、年かさの方がやはり花の香りがいっそう華やかだ。

*櫻は法乗院、わかなは亀姫を指す。

 

28.萬代にちぎりもふかくこうばしき 人の心も花にぞありける

(釈)夫婦の永遠の契りを誓ったわがつま法乗院の心も、この櫻の花の中に宿っている。

*「こうばしき人」は法乗院を指して使われている。正しくは「かうばしき人」であろう。忠廣公は、いわゆる「歴史的仮名遣い」をかなり誤用し、結果的に「新仮名遣い」に一致しています。現代の仮名遣いと同じなので、私はあえて直さずに記述している。

 

同八日

29.きのう見し人はわかなかはつ春の 玉のをながき青柳のいと

 (釈)きのうの夜の夢に見たのは若菜だったのか、ながく美しい青柳の糸のように美しく長く生きてほしい。

*わかなは亀姫、「玉のを」は、魂の緒から「命」を意味すると考えられる。

  同九日

30.こゝのヘににしきをかざすいと櫻 花の盛りに歸さの袖

 (釈)幾重にも金襴の錦のようなあでやかに咲きほこるいと櫻 花見の帰りの若い女たちの振袖

*忠廣公の歌に、袖が頻出している、「袖がぬれる」で涙にくれるとなりますが、ここの袖は涙ではなく、「女たち」と考えて訳した。

 

寛永十癸(みずのと)酉(とり)年正月十日の哥

31.なよたけのふたよをこめてちぎりしは ふしぶしならぬ中かと見る哉

 (釈)まだ若いなよ竹のころ、この世とあの世とを込めて永遠の愛を誓った妻とは、形式ではなく、真実の愛だったのだね。

忠廣解説

 同八日九日、美しい花を見て、このように思い続け書きつけた。

*やはり忠廣公は、崇法院でなく、法乗院のことを深く愛していたようだ。