同二十日

48.霞こめしおく山さとの梅の花 時をまちゑて雪にさきだつ

 () 霞たちこめる奥山里の梅の花は、時を待ちかねて、雪が降る前に咲いてしまう。

忠廣解説

この哥の作意、面白い発見をした。梅の花はどこでも寒気が来る前に花の方が先に咲くものなのに、この路の奥山里では、しきりなく降る雪の中で、梅の花がまるで百花繚乱である。その心を武士の生きざまにたとえた思いは深い。

また、このような憂鬱な生活をしている奥里から、私の世に出る願いを、古言葉の「艱苦を経て」という言葉を思いこんで詠ったものであろう。

本当の心は、なかなか筆に尽くすことができない。

*「古語いわく、寒くをへて、の心」とあるが、出典がわからない。「寒く」は辛うじて、「艱苦」であろうと考えた。(加藤注)

 

同二十一日

49.もゝ千千どり萬代までのすさみかな よしの野花は山のしらゆふ

 (釈)短冊の「もゝ千千どり」の言葉は、なんとさかんで縁起の良いものだろう。吉野の野櫻はまるでたぎる海の白波のようだ。

忠廣解説

この哥の心は、昔、熱田のみやと言うところの宿で、「よしの野」という言葉が入った哥が書いてある掛けものがあった。この短冊のようなものを買い求め、すぐに持って上京し、人に見せると「良い」と云うので、表具仕立てにして今も持っている。

寛永十癸(みずのと)酉(とり)年正月の頃であったか、夢の中に、この掛物の脇に法師がいて、「もゝ千千どり」と云う文字の事などをあれこれ色々面白く語る心を見て、夢でもやはりそうだったのだと思い、書いたものだ。

下の句が連歌の付け句のようでもある。またこれに続けて、「よしのやまながめ成べし」。

*「よしのやまながめ成べし」がわからない。連歌の付け句のつもりだろうか。

 

同二十二日

50.物うさはおく山ざとの柴のかき うずめてし雪おきつしら波

 (釈)奥山里の柴の垣根が雪で覆い尽くされ、外に出ることもできず憂鬱な思いが募る。柴の垣根を埋めた雪は沖の白波のようにも見える。

忠廣解説

意味は書いたとおりである。「うずめてし」の言葉はちょっと珍しいか。雪が少し浮きあがったところなどは沖の白波かと思われたりする。

 

同二十三日

51.すめるよのにぢぅ三やの月影の 光をそへよ我袂にも

 (釈)月待ちをすれば願いがかなうと云う二十三日の夜の月よ、わが袂にも澄みきった光を注げ。

忠廣解説

この哥は憂鬱な気持ちでいた時に見た月影がみごとに冴えわたり、私の心にしみこんできたので、願いがかなって世に出ることを強く念じて作ったものであろう。

 

52.信濃なるあさまのたけもあさましや きえぬけぶりの見えぬ物から

 (釈)信濃の方角の浅間の岳も驚きあきれるほどあさましいかぎりだ。噴煙がいつまでも消えないので、愛する家族たちの姿が見えないよ。

忠廣解説

これは、初め愛する家族が信濃の國にいるように聞いていたので、このように書いたのである。

徳川義宣解説

忠廣が罪を得た時、側室の一人(法乗院)とその子(男正良 女一)は信濃國松代城主眞田信之に預けられたが、その後まもなく信之の長子の上野國沼田城主眞田河内守信吉が預かるところとなった。即、この歌を詠んだ寛永十年正月には、まだ信濃に預けられてゐると考へてゐた妻子が、この歌集編集時の寛永十三年には、既に上州沼田に預けられてゐるのを知って記した歌意の説明である。

*多くの研究者によって引用される有名な歌だ。それゆえ、解説は編集者である権威ある徳川氏のものをコピーした。(加藤注)

この稿続く。

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