2018.09.04 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(50)英数研究セミナー加藤敦
前の哥を次のように直して歌ったものだ。
200.うき世雲もはれてひかりの出づる月 廿三夜の五月雨の空
(うきよくもも はれてひかりの いずるつき にじゅうさんやの さみだれのそら)
(釈)五月雨の空を覆う浮世の雲もいつしかはれて、二十三夜の冴えた月の光が輝き出ている。
忠廣解説
この哥の作意、昨日から今日の昼までもさらに夜に入ってまでも、雨がたいそう降ったけれども、月が出る前、隅の方から浮雲がはれて二十三夜の月の御影が鮮やかに、光も清らかに天空を照らすのを見て、思いもよらぬ不幸にあって浮世に住むことになっても、五月雨のひどい今夜の空もみごとにはれて月がくっきりと明るい光を発しておられるように、私の望みもすぐにかない、誰はばかることなく思いのままに世に出て、疑いも晴れ澄んだ思いで住むことができる身となり、家族やみんなの願いもかなって喜びのみに会う身の上となることを念じ、思い続けたもしお草なのである。幾度も幾度もこう書く。
訳者解説
忠廣解説から、忠廣公のせつなさと思いの強さが伝わってくる。自らの境涯を五月雨の空に譬え、暗黒の絶望の中からいつしか希望の美しい光が差し出るのを夢見ている。この思いが、繰消し繰り返し忠廣公の胸中をめぐって離れないのであろう。
この「塵躰和歌集」が書かれなければならなかった理由の一つが分かるような気がするのである。
同廿四日
201.雀子のすだちでさへも兄弟を したしみ松え三つとまりて鳴く
(すずめこの すだちてさえも はらからを したしみまつへ みつとまりてなく)
(釈)巣立った雀の子ですら、いつまでも兄弟同士の親しみを忘れずに、三羽が松の枝にとまって鳴いているよ。
忠廣解説
この哥の作意、五月二十一日の早朝に、起きて庭を見ると、巣立った雀の子が三つ四つ松の枝に止まっていて、その内の三羽は一つの枝に身を寄せ合って鳴き、あちらこちらと飛び回っているのを見て、この小さな鳥にもたがいに慈しむ心があるのだな、と思うと、まして人間はもっと心得深くあるべきものだよ、と思い詠んだ塵躰和歌集である。
訳者解説
かわいい盛りの子供たちを突然奪われてしまった忠廣公の脳裏から、子供達の姿が離れないのであろう。何を見てもそれが子供達の姿に重なってしまうのである。
あの無法な改易から一年が経とうとしていた。歳月も忠廣公のこころを癒やすことはないのである。
同廿五日.
202.子をつれてはぶきならわす親雀 なつかしきかなふるすにもゆく
(こをつれて はぶきならわす おやすずめ なつかしきかな ふるすにもゆく)
(釈)子を連れて飛んできた親雀が、子に羽ばたきを教えている。そして懐かしい古巣に帰っていく。
忠廣解説
この哥の作意、庭の松の枝に子を連れて親雀たちが飛んで来て、子雀に羽ばたきを教える様子をした後、親雀たちがもとの古巣に飛んでいったのを見て、まことに鳥は古巣に帰ると云うことは本当だ、このようなものたちですらこのような心を持っていると感心して書いたのである。
訳者解説
小さな生き物が、人間と変わらぬ行動をするのを見て驚くことがある。忠廣公はどんな小さな生き物の親子にも、我子の姿を見てしまうのである。そして「なつかしきかなふるすにもゆく」と書く時、雀たちへの羨望を隠すことができないのである。
この稿続く。
平成30年9月4日