2017.05.18 加藤清正歴史研究会
14.名ぞつらき長月くもる秋の夜の はれぬ思にあられふるころ (釈)名月の名前がないてしまう黒く曇った秋の夜の月、憂鬱な心に霰(あられ)すら降ってくる。 忠廣公解説 同じ年の十三夜、名月がいちめん
2017.05.17 加藤清正歴史研究会
加藤光正公の母親崇法院(法名)は、徳川家康の三女振姫と織田信長の孫で会津六十万石の蒲生秀行との間に生まれた方です。つまり、母親は家康の孫にして信長のひ孫にあたります。その子である加藤光正公は、家康から
2017.05.15 加藤清正歴史研究会
9.色々に思ひをわけてまつ人も いまぞ浮世の夢のはかなさ (釈)色々な思いを分け持って待つ私の家族たちも、その思いは、今は配流の身のはかない夢となった。 忠廣公の解説 寛永九年の十月二十日の夜、
2017.05.14 加藤清正歴史研究会
5.名にしおはゞあふさか山のさねかづら 人めすなをにくるよしもかな (釈)つるが分かれてもふたたび逢って寝るという名を持つさねかづら。ひとめを気にせず妻が来てくれればよいな。 *さねかづら(真葛):
2017.05.14 加藤清正歴史研究会
(寛永九年六月十六日) 1.世の中ぞ道分(みちわけ)行(いく)や毛頭(もがみ)川(かわ) うきなをくだす青かや小舟 (釈)世の中よ、最上川を道かきわけて、我うき名をくだして流れる青萱小舟 忠廣公解
2017.04.22 加藤清正歴史研究会,論考「塵躰和歌集を読む」
加藤光正公の母親崇法院(法名)は、徳川家康の三女振姫と織田信長の孫で会津六十万石の蒲生秀行との間に生まれた方です。つまり、母親は家康の孫にして信長のひ孫にあたります。その子である加藤光正公は、家康から
2017.04.12 加藤清正歴史研究会
加藤清正歴史研究会のブログに表題の文章を投稿しましたので、ご覧ください。 マウスを下に引いていただいて、表題の文章をお開きください。少し長くなりましたが、今後も書き続けますのでご愛読お願いいたします。
2017.02.14 加藤清正歴史研究会,論考「塵躰和歌集を読む」
加藤清正公の嫡男である加藤忠廣公は、幸いなことに手書きの個人和歌集「塵躰和歌集」(全319首、補13首、合計332首)を残しています。達筆ではありましたが、歌人ではありませんので、彼の歌その物に芸術的
2022.03.15
2022.02.22
2022.01.25
2021.12.17
2021.10.19
2021.09.20
2021.08.21
2021.08.08
2021.05.21
2021.04.15
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